2006年03月25日

諸君、謀反を恐れてはならぬ。謀反人を恐れてはならぬ。自ら謀反人となる事を恐れてはならぬ。

新しいことを行っていくときに、必ず、そのとき、過去の行ってきたことを否定することになる。
 新しいものを産み出すときに、そのことをおもしろくないと思う人が必ずいる。
すでに既得権を得ていて、且つ、その既得権が時代の変化の中で、本当にうまく機能していないと感じているとき、人は、その新しい動きを疎ましく思い、そして、足をひっぱる。このことは、気づくことができないのかもしれない。
 そのようなことが、自分自身にもある。
 47歳、齢を重ねて、常に新しいものに立ち向かう、精神を持ち続けなくてはならないと、この文をよんで思った。(-_-;)
 
諸君、幸徳君等は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。
「身を殺して魂を殺す能わざる者を恐るる勿(なか)れ」。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えられたる信条のままに執着し、言わせらるる如く言い、為(な)せらるる如くふるまい、型から鋳出(ちゅうしゅつ)した人形の如く形式的に生活の安を偸(ぬす)んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、即ち是れ霊魂の死である。我等は生きねばならぬ。生きる為に謀叛しなければならぬ。古人は云うた如何(いか)なる真理にも停滞するな、停滞すれば墓になると。人生は解脱(げだつ)の連続である。如何に愛着する所のものでも脱ぎ棄てねばならぬ時がある。其は形式残って生命去った時である。「死にし者は死にし者に葬らせ」墓は常に後にしなければならぬ。幸徳等は政治上に謀叛して死んだ。死んで最早復活した。墓は空虚だ。何時迄も墓に縋(すが)りついてはならぬ。「若(もし)爾(なんじ)の右眼爾を礙(つまづ)かさば抽出(ぬきだ)して之をすてよ」。愛別(あいべつ)、離苦(りく)、打克(か)たねばならぬ。我等は苦痛を忍んで解脱せねばならぬ。繰り返して曰(い)う、諸君、我々は生きねばならぬ。生きる為に常に謀叛しなければならぬ。自己に対して、また周囲に対して。
 

諸君、幸徳君等は乱臣賊子(らんしんぞくし)として絞台(こうだい)の露と消えた。其行動について不満があるとしても、誰か志士として其動機を疑い得る。諸君、西郷も逆賊(ぎゃくぞく)であった。然し今日となって見れば、逆賊でないこと西郷の如き者がある乎。幸徳等も誤って乱臣賊子となった。然し百年の公論は必其事を惜(お)んで其志を悲しむであろう。要するに人格の問題である。諸君、我々は人格を研(みが)くことを怠ってはならぬ。 



徳冨蘆花「謀叛論」より



arayamanet at 22:08│Comments(0)TrackBack(0)clip!考えてること 

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