2008年03月03日

幼少期

一九五八年八月四日、富山県高岡市に生まれる。長男。母親はNTTの前身に電電公社に交換手として勤める。父親は屋根材料問屋に勤務。父はとても忙しく、仕事に明け暮れていた。母はとても優しく、またとても明るい性格であった。共働きでいたために、私はおばあちゃんのところにいることが多く、おじいちゃんやおじさんなどからも愛情をいっぱい受けて育った。
まったく苦労なく、すくすく育ったと思う。近所の子について歩いていく。また、泣かされて帰ってくることもある気の弱い子であったように思う。小さいころから、積み木や、メンコなど、工夫して作るのがとても楽しく、プラモデルなども、戦闘機、戦艦など片っ端から作り上げていた。色を塗ったり、プラスティックを溶かしてアンテナにしたりしていた。周囲の人たちは、家のことや人との関係など、体裁を気にする傾向があったように思う。富山県の人の性格があまり好きになれないところがあった。
小学生のころは、両親から買ってもらった百科事典、十一巻の大きなものを毎日読んでいた。動物や科学など、百科事典が黒くなるほど読んでいた。
授業中は不真面目・・・とても・・・隣の子と話をしたり、落ち着きのない子であった。また、百科事典を読み漁っていたので、ところどころでみんなが知らないことを知っていることでびっくりされることが、また楽しみでもあった。目立ちたがり屋であったと思う。が、とても小心者でもあった。『科学』と『「学習』(雑誌)を楽しみにしていたし、実験もとても好きだった。 毎日、放課後、野球や、夏は水泳で、真っ黒になるまで遊んでいた。
父親の転勤。小学校から中学校へ上がるときに、富山から秋田へ引っ越した。なんてところへいくんだろう、と・・・そこは父の会社の事務所や工場などと同じ建屋に住まいがあった。会社は屋根・板金の問屋であった。会社の人たちと一緒に生活をすることになったという大きな環境の変化と、秋田というまったく知らない東北の地に引っ越したことが、子供心にとても大きな変化であった。 友達が誰もいない、道すがら油田が動いている。さびしいところへ来たな・・・でも、父親、母親と一日中一緒にいられるところでもあり、 環境変化に適応していった。地方によって考え方もさまざまだなと実感した。秋田山王中学校・・・まわりの生徒はズーズー弁。とてもきれいな女の子もズーズー弁で話す。そんな中で、一週間でみんなと仲良くなっていった。 柔道部・・・学校で一番厳しい、そして全国大会にも出場している柔道部へ入部・・・ しごかれた・・・陰気・・・ 面白くないので退部して、二年生になるときに卓球部に入った。選手になれないのでちょっとつまらなかった。初恋・・・とてもきれいな子がいて、その子と映画へ行った。初々しい。思春期の多感な少年でした。
秋田は、とても厳しい気候と環境にいながら、みんなが、今日を如何に楽しんで生きるかを考えるという、とても明るい地域だった。大好きです。 
高校受験。その秋田で高校受験。新設の高校、秋田南高校普通科へ。入試は良い成績だったと思う。本番に力が出た。感謝!多分クラスで成績も上位だったので級長に・・・でもすぐに遊んでしまう。最初の試験で自分だけが赤点を取ってしまった。下がるとくそっと必死のパッチで勉強する。そうすると気を抜いて、また下がる。そんな目標のない勉強方法だったと思う。第一学期の夏休みになんと・・・転校・・・がまた・・・盛岡へ。入ったばかりの高校をすぐに父親の新規出店のために転校・・・転校の試験はバッチリ、くそっとがんばった後だったので・・・入るときはすごいやつがくるぞと・・でも、結局また上がったり下がったりの成績・・何かしようかな・・・と思っていたら、そのクラスにボート部のメンバーがいた。 




arayamanet at 04:19│Comments(0)TrackBack(0)clip!未分類 

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